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砥石観音


より大きな地図で 萬福寺 砥石観音 を表示






香川県三豊市財田町に讃岐三十三観音霊場第13番萬福寺がある。

この辺や徳島県三好市山間部などから木材が集積されて、
三豊市豊中町の本山寺建設に大変な苦労があった、という話がある。

萬福寺はこの時の集荷場そのものの場所である。

萬福寺の奥の院として、
本堂から数100m離れた場所に砥石観音堂がある。

萬福寺はこの砥石観音をご本尊としている。
今として管理のために本堂に置かれているのか、
それとも奥の院のお堂に置かれているのか、
それは知る由もない。

ただ、ある話はそれまでに、である。

財田の山間部から材木を切り出すわけであるが、
斧やのこぎりがなかなか傷んで切れなくなる。

そこに通りがかりの僧が現れて、砥石を置いていってくれた。

おかげで刃物の切れも戻り喜んでいたのであるが、
夜な夜な砥石が光り輝くという。

おのずと覗き込んでみると、
砥石の中に光り輝く聖観音様の姿があった。

こういう話が砥石観音の話である。

私のページでも

  ご本尊:聖観音・砥石観音

と書いてあったのだが、
2つあるわけではなく、
砥石として使われていた石が聖観音像なのだ。

地元の調査などによると2尺余り、
背中が砥石として削られた観音様ということである。
まあおそらくではあるが、
前から見ると聖観音であるが、
背中を見ると削られている、
という形をしている60cm余りの高さの像だろう、ということになる。


文献や文章が混在するのは、
聞いていなかった、
聞いたけど忘れた、
古語を現代語に自分勝手に作文した、など。

私はできる限り、
寺での云われ書きを頂いて、
(寺紹介のパンフレットや1枚モノの紙とかがある)
それをできるだけそのまま書き写している。

そこにはおそらく
「聖観音が乗り移った砥石」とも書かれていなかった。

いろいろ誤解が出るのは、
これだけ自由なネットの世界で、
自分の作文を書くからだ。

客観的なものはコピーに限る。


ここにあるものは、
ご本尊が聖観音様で砥石のように使われてその跡が残る、
という意味で、

  ご本尊:砥石観音(聖観音)

という書き方がよかったのだろうか。


勘違い・行き違いはどんどん進行するので、
できれば解消したいものである。


書き上げた後ろからどんどん判明して追記となるが。
まあ素人の単純馬鹿、勉強足らずはいろいろあるとは思うが。

http://www.sanuki33.jp/13.htm

「一夜にして建立した」とは寺の説明になかったが。
少なくとも「夜な夜な」は複数形であり、
寺説明文章と相反することになる。
こういう公ともいえるところがこの調子だからだめなのだ。


キリストは地動説も進化論も否定していない。
すべて後の者の過言なわけだ。

大師信仰とは「弘法大師を大げさに言いふらす」ことではない。


どうも分かったことだが、
建立した本山寺の本堂が
「一夜にして建立された」
ということになっており、
それを勝手に解釈しているようである。

何が言いすぎなのかは今日では大体想像ができるが、
「本山寺本堂が一夜にしてできたので、
 砥石観音も1日しか使われていない。」
のかw

現代となって調べようがないからといって、
昔の言い過ぎを現代につじつまを合わせようと無理をするのは美しくない。

さすがに下策な話だw











寺・神社 | [2011-11-21(Mon) 13:26:41] | Trackback:(0) | Comments:(0)
板刻弘法大師



より大きな地図で 神護寺 を表示

多分HPに書くだろうけど。

神護寺板刻弘法大師(神護寺HP画像ページへ)

神護寺の板刻弘法大師のご開帳は、
2009年から行われているそうで。
弘法大師が神護寺に入山されて
1200年を記念してのことだそうである。

つまり、
804年に遣唐使、
806年帰国、
 :  大宰府
809年入京・神護寺入山
となるのであろうか。

神護寺は大師にとって、
非常に重要な寺となる。

日本に初めて密教が入ってきて、
その布教が認められた場所となる。


板刻弘法大師像は、
京都東寺の坐像と双璧だろうと思っていた。

弘法大師の絵・像の原画は、
辿っていけば、
善通寺・ご自宅の庭の池に、
わが姿を映して自筆された、
善通寺に残る瞬目大師。
これは史実どおりだと、
遣唐使に行く離れる自分を寂しがらないようにと、
ご両親にあてて描かれた絵なので、
大師直筆・804年製作ということになる。

これは今は善通寺大師堂奥殿に残り、
時々ご開帳される。

東寺の大師像が明らかに古いと分かるのは、
大師の顔が細く、
今に残るすべての絵・像などと違うことにある。
見れば一見である。
1233年の製作と残る。

神護寺・板刻大師像は、
神護寺に入山した性仁(しょうにん)法親王が1302年、
四国八十八カ所第26番札所金剛頂寺(高知県室戸市)の
板彫の弘法大師・空海像を模刻させたと伝わる。
金剛頂寺の大師像はその後紛失してしまっており、
このような大師像は珍しい。

絵→板刻→像となるだろうことなどから、
板刻大師像は考えるだけでも古いタイプになるが、
やはり東寺の最古の大師像と云われる大師像と甲乙つけがたいほどに古い。

板刻といっても板厚が20cmほどもあり、
大師堂内部のちょっとしたライトによっても、
ものすごい立体的に見える。
板も高さ136~7cmあり、
ちょっとやそっとの大きさじゃない、
結構なボリュームを感じる。


神護寺の高尾潅頂によって、
日本に初めて密教・真言宗がもたらされるわけであるが、
そういう観点で神護寺は大きな歴史上の意味を持つ。

神護寺の場合、
現在は大師堂として残るが、
大師がお住まいになったところということで、
元来納涼房として呼ばれていたそうである。

大師堂は外から見ると、
馴染みのこげ茶の屋根の低い正方形のつくり、
しかし内部から見ると、
右側は5間なのに左側は4間のつくり、
後々作られた大師堂に比べて少し小さいか?
内陣が大きく取られ、
狭さや正方形を感じさせないつくりになっているのだそうである。


今年で3年目にしてようやっと目にしてきたわけであるが、
11月1日~15日とかのご開帳であり、
ライトアップと重なるが、
紅葉の時期は11月半ばであり、
少しずれるため人は多そうでそうでもない。
今年は特に秋の高温で、
まだまだ紅葉に至っていなかった。

この他、神護寺には源頼朝絵とか、
栂尾(とがのお)・高山寺には鳥獣人物戯画とか、
この京都北西の山中の三尾にて、
いろいろはっとする高名な文化財に出会う。

なかなか外し難い名所といえる。











弘法大師 | [2011-11-17(Thu) 21:03:29] | Trackback:(0) | Comments:(0)
不自由な始まり

ここは自由な始まりじゃないわけだ。

このページは
http://wilderness.sunnyday.jp == 日本の姿 ==
と連動していくつもりだ。
書き足りない不定型なことを書こうかと。

そういう定型にはまっているわけだw











ブログ | [2011-11-16(Wed) 23:49:39] | Trackback:(0) | Comments:(0)