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板刻弘法大師



より大きな地図で 神護寺 を表示

多分HPに書くだろうけど。

神護寺板刻弘法大師(神護寺HP画像ページへ)

神護寺の板刻弘法大師のご開帳は、
2009年から行われているそうで。
弘法大師が神護寺に入山されて
1200年を記念してのことだそうである。

つまり、
804年に遣唐使、
806年帰国、
 :  大宰府
809年入京・神護寺入山
となるのであろうか。

神護寺は大師にとって、
非常に重要な寺となる。

日本に初めて密教が入ってきて、
その布教が認められた場所となる。


板刻弘法大師像は、
京都東寺の坐像と双璧だろうと思っていた。

弘法大師の絵・像の原画は、
辿っていけば、
善通寺・ご自宅の庭の池に、
わが姿を映して自筆された、
善通寺に残る瞬目大師。
これは史実どおりだと、
遣唐使に行く離れる自分を寂しがらないようにと、
ご両親にあてて描かれた絵なので、
大師直筆・804年製作ということになる。

これは今は善通寺大師堂奥殿に残り、
時々ご開帳される。

東寺の大師像が明らかに古いと分かるのは、
大師の顔が細く、
今に残るすべての絵・像などと違うことにある。
見れば一見である。
1233年の製作と残る。

神護寺・板刻大師像は、
神護寺に入山した性仁(しょうにん)法親王が1302年、
四国八十八カ所第26番札所金剛頂寺(高知県室戸市)の
板彫の弘法大師・空海像を模刻させたと伝わる。
金剛頂寺の大師像はその後紛失してしまっており、
このような大師像は珍しい。

絵→板刻→像となるだろうことなどから、
板刻大師像は考えるだけでも古いタイプになるが、
やはり東寺の最古の大師像と云われる大師像と甲乙つけがたいほどに古い。

板刻といっても板厚が20cmほどもあり、
大師堂内部のちょっとしたライトによっても、
ものすごい立体的に見える。
板も高さ136~7cmあり、
ちょっとやそっとの大きさじゃない、
結構なボリュームを感じる。


神護寺の高尾潅頂によって、
日本に初めて密教・真言宗がもたらされるわけであるが、
そういう観点で神護寺は大きな歴史上の意味を持つ。

神護寺の場合、
現在は大師堂として残るが、
大師がお住まいになったところということで、
元来納涼房として呼ばれていたそうである。

大師堂は外から見ると、
馴染みのこげ茶の屋根の低い正方形のつくり、
しかし内部から見ると、
右側は5間なのに左側は4間のつくり、
後々作られた大師堂に比べて少し小さいか?
内陣が大きく取られ、
狭さや正方形を感じさせないつくりになっているのだそうである。


今年で3年目にしてようやっと目にしてきたわけであるが、
11月1日~15日とかのご開帳であり、
ライトアップと重なるが、
紅葉の時期は11月半ばであり、
少しずれるため人は多そうでそうでもない。
今年は特に秋の高温で、
まだまだ紅葉に至っていなかった。

この他、神護寺には源頼朝絵とか、
栂尾(とがのお)・高山寺には鳥獣人物戯画とか、
この京都北西の山中の三尾にて、
いろいろはっとする高名な文化財に出会う。

なかなか外し難い名所といえる。











弘法大師 | [2011-11-17(Thu) 21:03:29] | Trackback:(0) | Comments:(0)